『ドラゴン桜』という教育マンガの編集者をしていた。その縁で、日本の教育業界の一流の人たちと知り合った。どの話も説得力に富み、面白かった。「将来、子供ができたらこう子育てしよう」取材をしながら、そんな思いがどんどん膨らんでいく。

当時は独身だったから、知識を溜め込むばかりで実践することがなかった。子育て論についての頭でっかち度合いでいうと、日本一だった自信がある(笑)。

ついに10年経ち、長男の一平は小学1年生、二平も幼稚園の年中。実践をする時がやってきた。
「公文は子供が望まなくても小さい時からやらせる。本人が自分で調べて希望しない限り、小学校・中学校受験、英語の早期教育はしない。好きなことの博士になるようにサポートする。あとは、本人の自由」

我が家の方針は、シンプルにそれだけ。

なぜそのような方針になったのかという詳しい教育論議は別の機会に譲るとして、たくさんの知識をシンプルなものにすることで、実現度合いが高まる。
はずだった……。

好きなことの博士になるのをサポートする。これは、簡単な気がしていた。ウルトラマン博士でも、仮面ライダー博士でもなればいいさ。それがきっかけで、のめり込む力が強くなるのだから。

しかし、二平の意向で実際に家の中がウルトラマン人形だらけになり、話題はいつもウルトラマンのスペックについて。どこへ行っても(YouTubeで)「ウルトラマンをみせろ!」と言われ続けると、ウルトラマンにうんざりしてくる。サポートじゃなくて、ほったらかしになってしまう……。

一平は、生き物博士になりたいという。海へ行けば、魚を捕まえて水槽に入れて持ち帰る。帰りの車で寝ている間にひっくり返し、死んでしまった魚の処理を手伝うのは、もちろん親だ。

公園で捕まえてきたトカゲ(本当はカナヘビというらしく、トカゲと呼ぶと一平は怒るけど、多くの人はカナヘビだとどんなものか想像できないと思うのでトカゲで)が虫かごから逃げて、家の中を勝手にうろついても我慢しなくてはいけない。

「博士になるのをサポートする」は言うは易し、行うは難しだ。

画像: #6 言うは易し、行うは難し

一平も二平も3歳から公文を始めた。公文の先生から「お父さんが付き添いで公文に来た時に携帯をいじり続けるのをやめさせてください」というチクリが妻にはいったりするのを耐えた(携帯を触りすぎと色んな人から怒られるのだけど、もう治らないから、これを読んでいる人はそんなことで僕に対して怒らないでほしい!)。

はじめは遊びみたいなプリントだから、息子たちも喜んでやった。しかし、だんだん進んでいくと、簡単にはできないようになっていく。

そうすると、毎朝が戦争である。プリントをやるように息子たちに言う。プリントをやりたくない息子たちは、そのことを正直には言わず(プリントはやることを期待されているのは理解しているから、期待に応えたい思いもあり、「やりたくない」とは言わない)、代わりに何か別の問題を探す。

幼児がプリントをしなくていい理由を他のことで正当化しようとする時、思いつく理由は難癖しかない。我が家では毎朝、難癖をつけ大騒ぎする一平、二平と、それを叱る妻の怒号が飛び交う。

そして、「公文は責任をもってやらせると言ったのはあなたなのになんで寝てるの!!」と僕のところまでやってくる。

子供は他人である。他人のモチベーションをコントロールすることの難しさよ。いや、コントロールなどできない。

どれだけ最強の教育法を知識で詰め込んでも、相手にモチベーションがなければ、その知識が活かされることはない。公文をやらせるというのは、シンプルで簡単なことだと思っていた。でも、それは大間違いだ。

子育てとは、子供のモチベーションを育てることだ。ここまでは、偉そうに言える! じゃあ、どうやってモチベーションを育てるのか。それは、正直まだ試行錯誤の最中だ。

会社を経営していて気付いたのも実は同じことだ。戦略とか戦術も大事なのだけど、それを実践するメンバーにモチベーションがないとどうにもならない。そして、他人のモチベーションはコントロールできない。

人の難しさに、家の外でも中でも、悩む30代を過ごしている。

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