LGBT家族の会を主宰しています、なんていうと、進歩的な考え方の持ち主なのだと思われがちなのですが、実際のところ私自身は保守的な家庭に育ってきた人間です。

異性と結婚していた頃には、世の中には “お父さんお母さん子ども” の家庭くらいしか存在しないと思っていました。むしろ何も知らなかった自分が、離婚して同性パートナーと子育てを始めることになったからこそ、「にじいろかぞく」を始めたのです。

その動機は、同じような境遇で子育てをしている人に話を聞きたかったということに他なりませんでした。ですから、今でも子育てをするLGBTの人に新たに出会うたび、ああこんな形もあるのかと一つ一つ教えてもらっていると感じます。毎度こんなにいろんな家庭があるのか! と驚くと同時に、自分の無知さにちょっぴり恥ずかしい気持ちになったりします。

 そういうわけで、ゲイ男性から精子を提供してもらって子どもをもとうとしていたレズビアンの友人に出会ったとき、私が最初に感じたことは「それはいいことなのか」ということでした。

人様の生き方に対し、「いいことなのか」と考えることが、いかに傲慢なことか今ならわかるのですが、(今も無知ですが今よりもはるかに)無知だった当時は、お恥ずかしいことに、しばらくどう受け止めたらいいのかわかりませんでした。

今でこそ「にじいろかぞく」に集まる多くのレズビアンマザーたちが、精子の提供を受けての人工授精で子どもをもつことが身近ですが、当時は不妊治療をした異性愛夫婦すらも知り合いにおらず(もしかしたら、これも話してもらえていないだけなのかもしれません! カミングアウトをしてもらえるような人間になりたいものです)、私は考え込んでしまいました。

 この友人は若い時からレズビアンとして生きてきた人でしたが、多くのLGBTの人とは違い、将来子どもをもつことを全く諦めていない人でした。

近年では変わりつつありますが、LGBTの人にとって、子どもの話題は長らくある種のタブーのようなところがありました。そんな中でも、彼女はいつか自分が子どもをもつことをなぜか信じきっていたそうで、実際に精子を提供してくれるゲイ男性の協力者を探し、結婚も性交渉も選択せず、子どもをもとうとしていました。

 初めのうちは(自分のことは棚に上げて)ずいぶん急進的な人だなあなんて思っていたのですが、徐々に彼女が無謀な挑戦をしているのではなく、むしろ「子どもをもつために自分の人生をコツコツと組み立ててきた人」なのだと気づかされました。

経済的に自立できる仕事を選び、パートナーの理解を得、親を説得し、ゲイの協力者を探し、なんども話し合いを重ね、一緒に食事をし、家族を含めて旅行に行き、その協力者との間に信頼関係を築こうとしているのだとわかるにつれ、私の見方は変わっていきました。

あれ?これは例えばお見合いと何が違うんだろう。協力者とは恋愛関係ではないけれど、信頼をベースに、子どもを真ん中においた関係を築こうとしている。確かにそこに性交渉はないけれど……と考えるようになっていた頃、この友人は、数年がかりの涙ぐましい妊活の末にめでたく妊娠をしたのでした。

 知れば知るほど、これから迎える子どものために周囲も巻き込み備える様子に、愕然としました。私は結婚して子どもを産んだ経験はありましたが、子どもを迎えることについて、彼女たちほど真剣に考えたり、準備したりなどしなかったのです! 子どもというのは私にとっては「自然にできるもの」であり、「できた」ので迎えたにすぎませんでした。もちろん子どもが生まれるのだからとマタニティスイミングに通ったり、プレママ教室に出たりという準備はしましたが、かつて婚姻システムにどっぷり浸かっていた自分には、子どもを迎えるということの本質がもっと見えにくかったように思います。

その友人を見ていて、この家庭に生まれてくる子どもは幸せだろうなぁとしみじみと思い、母となる人と、父となる人の間に性愛がないことや婚姻関係がないことから、「それはいいことなのか」などと一度とはいえ考えたことを反省しました。

 それからたくさんのレズビアンマザーに出会ってきました。どの人もどの家庭もそれぞれの事情があり一つとして同じではありませんでしたが、年単位の時間をかけて慎重に準備をして子どもを迎える様子は同じです。

「自然に」子どもができない人たちは、自分で決めて覚悟を持って子どもをもつ以外になく、備えざるを得ないのだなあと感じます。

 LGBTに限らず、生殖補助技術については、さまざまな問題や違和感を感じる人がいることも事実です。一素人の身の上で、あれこれ簡単に言えるような問題ではないことも承知しています。

けれど、同性愛者だと自覚する人たちが子どもをどうしても望む時、できるだけの備えをしながら子どもを迎えようとしていることを、身近で見せてもらっている者として、せめて少しでも伝えることができたらと思っています。

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