我が家には3人の子どもたちがいます。トランスジェンダーの人の場合は隠すこと自体が難しいことが多いですが、レズビアンやゲイは見た目にはわからないので自分たちが黙ってしまえば周囲に知られることはありません。

しかし、大人だけで暮らしているレズビアンやゲイとは違い、子どもがいると驚くべき速度で地域社会と関係ができてしまうものです。

今回は、学校や地域社会との関係とカミングアウトについてお話ししたいと思います。

実のところ私は、周囲には自分のことをあまり話してきませんでした。会社の同僚にも旧友にも、言っても大丈夫そうな人やどうしても伝えたい人にだけは自分が同性のパートナーと付き合っていることを伝えましたが、全方向とまではとてもいきませんでした。特に子どもの学校と近所は私にとっては最難関でした。

私が同性パートナーと暮らし始めた13年前は、日本ではまだLGBTという言葉もほとんど知られておらず、子どもを預ける学校の先生が同性愛に対する正しい知識をお持ちなのかを確かめるすべもない時代。

パートナーと何度も話し合った結果、安全だと思えるまでは私たちの関係をわざわざ話すことはない、と決めたのです。

しかし、我が家が女親同士で暮らしていることは、ご近所にも学校にもあっという間に伝わるところとなりました。

「どういうご関係?」と聞かれるたびに、苦し紛れに親戚だの友人だのその場しのぎの嘘をつき続け、結局誰に何と言ったかを忘れ、「あれ、ご親戚じゃなかったの?」などと突っ込まれる始末。

それでもなお言わない選択をしたのは、忘れられないある話が理由でした。

当時、親交のあったレズビアンマザーが、泣きながら連絡をくれたことがあったのです。彼女は同性のパートナーとお互いの連れ子と、ある保守的なエリアで暮らしていました。

お子さんが学校で友達と些細な喧嘩をして呼び出されたときのこと。学校の先生から「お母さんが(同性の人と暮らすような)うわついた生活をしているせいでお子さんが落ち着かないのではないですか?」と言われて、ショックで何も言えず帰ってきた、というのです。

彼女はむしろとても生真面目なお母さんであったにもかかわらず、先生が「同性愛は異常である」と思っていれば事あるごとに「おかしな家庭だからそのせい」と思われ続けるのか、とその時私は強く感じました(こう考えてみると恐ろしいものです。

その先生の心ない一言が何十キロも離れた我が家に10年以上影響を与えたのですから)。

しかも私は、周囲の人から「同性愛は異常だ」と言われたとして、言い返す方法が思いつきませんでした。

今でこそ、LGBTの人というのは世界各国、全国津々浦々、一定の割合でいるものなのだ、と理解していますが、自分自身に対する理解もなかなか進まないその当時、それを他人に説明してさらに偏見を解くなど不可能にしか思えませんでした。

そんなわけでカミングアウトしないことを決め、その場しのぎの嘘でやり過ごしているうちに、気がついてみれば私は身動きができなくなっていたのです。

一度ついてしまった嘘というのは取り返しがつかないもので、長年嘘をついていたことに申し訳ない気持ちもあり、かと言っていきなり重苦しくカミングアウトをするのにも気がひけるという状態……。それが13年経った今でも続いているのです。

先日、年若いレズビアンマザーの方のお宅にお邪魔する機会がありました。子育てをするレズビアンというのは意外とそこらにいるもので、その日も3家族が集まりました。

自分よりひと回りも年若い彼女たちのお宅はお子さんたちも全員ちびっこ。全力で育児を頑張る若いママたちの奮闘ぶりは愛おしくも眩しく、隔世の感がありました。

その中でも印象的だったのがこの一言。「こないだ子どもを預ける予定の保育園の園長先生に私たちの関係をお話ししてきたんですけど……」。

そう、この日集まっていた全員が周囲に自然体でカミングアウトをされていたのでした。私はびっくりしてしまいました。

彼女たちは(もちろん簡単ではないにせよ)保育園の先生たちだけでなく周囲のママたちにもカミングアウトをしてのけ、さらには地域で子どもを通して仲良くなったご家族同士でごくごく普通に遊びにも行っている!

それは私にとっては夢のように思えたのです。そう、怖がって目をつぶっている間に、いつの間にか私は時代に追い越されてしまったのかもしれません。

ここ数年で、社会でのLGBTの認知が急速に進みました。地方でLGBTとして暮らすことは未だ大変な困難が伴うけれど、少なくとも都市部では少しずつ息苦しさが和らいできたような印象があります。

ここに来て我が家でも、学校の先生にカミングアウトをするか?という話題が再浮上することになりました。

子どもたちの進級・進学とともに、せめて担任には言えるのではないか?

ということで、子どもたちにも確認をし(18歳になった長男は大学生なので関係ありませんでしたが)、高校生の娘と次男の担任の先生には、ふたりの母がいるのだということを伝える、ということになりました。

面談の席で、ひとしきり子どもの報告を聞いた後に、「先生にお伝えしたいことがありまして」、と切り出してみました。

それは思っていたよりもずっとなんてことはなくて、先生はにっこりと笑って、「あ、そうなんですね、わかりました」とうなずいただけでした。

もっと喜びや感動がわくかなと思っていたけれど、拍子抜けするほどあっけなく、自分もとても静かな気持ちでした。物事があるべき場所に収まるというのは、こんな風にさりげないことなのかもしれません。

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