「同性カップルで子育てをしています」というと、イコール生殖補助医療で出産したカップル、というイメージを持たれがちですが、おそらく日本で最も多いのは、かつて異性と結婚をしていた時にもうけた子どもを同性パートナーと育てている、というパターンではないかと思います(思います、というのは、残念ながら国勢調査などでも同性カップルの数は数えてもらえないため、総数がわからないのです)。

かくいうわたしも、その “古くからあるパターン” で同性のパートナーと子育てをするようになりました。しかし、そこに至る道のりは簡単ではありませんでした。

わたしは男性も女性も好きになることのあるバイセクシャルなのだと、今では自分のことを理解しています。わたしにとって、相手が男女どちらでも、好きになる時の気持ちに違いは全くありません。

誰かを好きになって、その人が幸運にも自分を好きになってくれて、デートしたり、喧嘩したり、やがてこの人が一緒に人生を生きていく相手なのかも……?と思う。

――でも、誰かを好きになるという、本来幸せなはずの話が、相手が同性になった途端に一転してしまうということを、わたしは小さなうちから、誰に教わったわけでもないのによく知っていました。

周りを見渡しても、テレビを見ても本を読んでも、出てくるのは男女のカップルだけ。わたしは女女や男男のカップルを、大人になって自分でゲイコミュニティにアクセスできるようになるまで見たことがありませんでした。

結果として「同性愛は異質なもの」というメッセージを子どもながらに社会から受け取っていたのですね。

そんな風に育ったわたしが、今のパートナーと出会った時に最初にやってきたのは、自らに対するホモフォビア(同性愛嫌悪)の壁でした。

ホモフォビアが一番厄介なのは、それが内側に向いた場合です。ひどい自己嫌悪、自己否定となってやってきます。それは異性と付き合っていた時には感じたことのないことばかりでした。

LGBTの人の自殺未遂率は、異性愛の人の6倍という調査結果も出ているほどです。

今でこそLGBTという言葉もだいぶ浸透して、世の中には、同性を好きになる人や自分の性別に違和感を持つ人などがある一定数いるのだ、ということも知られるようになってきましたが、わたしがパートナーと付き合うようになった十数年前には、今よりもずっとLGBTについて知られていませんでしたので、わたしは数年をかけて、自分自身の中にある誤解を一つ一つ解いていかなければなりませんでした。

その次にやってきたのは、周囲にどう思われるのか、という恐怖でした。同性のパートナーと暮らしたら近所にどう思われるだろう、子どもはいじめられないだろうか、今仲良くしてくれている人たちは離れていくのだろうか……いろんな思いが浮かびました。この話はまた今度詳しくお話しますね。

そして3つ目の壁、それは最大にして最難関であった「パートナーの子どもを引き受ける」ということでした。

一つ目の壁は自分自身のこと、二つ目の壁は周囲の人間関係のこと、そして三つ目の壁は家族のこと。

そう、わたしのパートナーはシングルマザー。パートナーもまた、かつての結婚でもうけた娘が一人いるのです。一緒に暮らすようになった最初の頃は、本当によく泣いていました(わたしが、です!)。

今では、学校から帰ってくると2時間でも話し続けるような娘ですが、暮らし始めて2年ほどはわたしの言うことは全く聞いてくれず、何か言うたびに「ママはそんなこと言わない」の一点張りで大変でした。

なんでこんなに大変なんだろう、同性愛者の家族って本当に大変……なんて考えていたのですが、ある時ふと気がつきました。

これは同性愛者だからじゃない、ステップファミリーになったからだ、ということに!

ステップファミリーというのは、子連れ再婚家庭のこと。ステップとはホップステップジャンプのステップ……なのではなく、「血縁のない」という古い英語からきているそうです。

現在では結婚するカップルの4組に1組が再婚カップルだと言われていますが、異性愛のカップルにとっても、ステップファミリーはなかなかに難しいもののようです。
だいたい落ち着くまでに平均4年から8年かかるとか。

我が家も初めの数年間は本当に大変で毎日が嵐のようでした。そんなわたしのステップファミリーライフを支えてくれたのは、実は異性愛のステップファミリー仲間でした。

泣き言を言い、いつまでもイメージするような “一つの家族” にならないことに対するつらさを分かち合える仲間と話す時、パートナーが異性か同性かなんてことは全く問題にはなりませんでした。

ただいくつか、興味深い違いもありました。

異性愛のカップルの場合は、再婚した途端に「新しいお母さんになったのだから」という周囲からのプレッシャーを受けることになるという悩みをよく聞きましたが、それは我が家にはありませんでした。

代わりにあったのは、「やってもやっても誰もわかってくれない」という悩みです。

同性のパートナーどうしの家族である、と周囲にカミングアウトができなかったわたしは、外から見れば2世帯の同居にすぎず、パートナーの娘を実子と同じように面倒を見ていても、周りからは「なぜそこまでするの?」と思われてしまうのでした。

結局今に至るまで、わたしは「娘にとって何者なのか」わからないナナシのまま十数年間、娘を育て、多分ナナシのまま娘は巣立ってゆくのだと思います。

ただ実感はあります。わたしたちは確かに法律上は家族ではなく、わたしと娘は血の繋がった親子ではないナナシ状態だけれど、自分たちは家族に違いない、と。

子どもたちに聞いてみたことがあります。「ねえ、あんたたちってきょうだい?」子どもたちはしばし考え込んで「きょうだいではないかな」。そっか。「でも家族」「うん、家族だな」。

ことも無げに納得しあっている風で、実は名前なんかに振り回されているのは大人ばかりなのかもしれないなあと思わされたのでした。

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